太宰治とのふれあい
旅館明治と太宰治

「湯村とその大衆浴場の前庭にはかなり大きい石の木が在り、かっと赤い花が満開であった」
太宰治が初めて湯村を訪れたのは、昭和十四年六月でした。
結婚の翌年早々、甲府に新居を構えてから九月に東京へ移るまでの間です。
当時 湯村温泉は いくつかの源泉をはさんで十軒ほどの旅館が建てられていました。
小説「美少女」によると・・・
「湯村のその大衆浴場の前庭には かなり大きい石榴の木が在り、
かっと赤い花が満開であった」
「浴場はつい最近新築されたものらしく よごれが無く、
純白のタイルが張られて明るく日光が充満してゐ
清楚な感じである」
と浴場の様子を書いています。
ここに書かれているのが”明治温泉”、当館です。


太宰は向かって左主屋の最も眺望のよい一番二番の両室で執筆していました。
現在の「双葉」の間にあたります。
明るい二番の室で執筆し、床の間のある一番の室で寝起きしていました。
太宰は朝寝坊だったらしいのですが、朝起きると必ず袴を着けて室にいたと
いいますから、通説どおりかなりハイカラだったわけです。
甲府在住の頃は数回来たにすぎませんが、東京へ移転後は度々湯村を
訪れることになります。
太宰が執筆のため当館に逗留したのは昭和十七年二月中旬~下旬と
翌十八年三月中旬の二回でした。
当時の当館は写真のような家構えで、二階を客室に使用していました。


当館の者は、最初は小説家とは知らず、かなり後になってわかったといいます。
当館で執筆した小説は、「正義と微笑」、「右大臣実朝」の二編でした。
昭和十三年、御坂峠の天下茶屋に来て以来、山梨とのゆかりは深く、
昭和二十年に夫人の実家に疎開しましたが間もなく全焼し、青森の実家へ帰ります。
以後死ぬまで甲府を訪れることはなかったと思います。
NHKで当館でのことが放映され、「太宰の宿」を訪れる人が多々あります。